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ロブチェ&エベレスト

30日に51日間のヒマラヤのロブチェ&エベレストから帰国しました。
エベレストは5/20にアタックしましたが、スタートから思うように足が進まずノロノロと登って
登れない事はないでしょうが、体力も酸素もBCに戻る前に尽きる可能性が大なので残念
でしたが自分の判断で引き返しました。
前日のサウスコルにはトップで着いて、翌日は雪のルートを登るだけなので登頂出来るだろう
と考えたのですが、想像以上に体力を消耗していたようです。
5/17、18の2日間はC2(6500m)からサウスコル(C4、7900m)へローツェフェースを
登りますが、思っていた以上に急峻で見上げると首が痛くなると言う感じでした。急なのでザック
を降ろして休める場所はなく、17日は8時間10分の登りでザックを降ろせたのは1回のみ。
C3は急な斜面にテントが張られて、テント外へ出る事は禁止され、(大)はテントの前室で
するように言われた。
18日はAMは急な雪面の登り、PMはトラバースと尾根を乗越してサウスコルへのトラバース
となり10時間30分の行動時間だった。

22日にBCに戻ってシャワーを浴びたら腹はへこみ、手足の筋肉は無くなって細くなり、
私の体重は通常は67kg位ですが、60kg以下になっていると思いました。
近藤隊長も痩せて顔がシャープになり、太目だった男性は10kg以上痩せてスリム君に
なりました。
BC(5364m)滞在1ヶ月、高度順応でC2に登って滞在したり、足慣らしの為に
カラタパールに2回登ったりしている内に徐々に体力をすり減らしていたようです。

4/22ロブチェ登頂、4/23にエベレストBCに入りまでは順調で、体調も良くて早く登頂
して下りたいと思ったりしたのですが「クンブ・コフ(咳)」になり咳が出だすと止まらず、咳き込み
が激しく呼吸が苦しいので、ヘリコプターでサーダーと二人でルクラに下って休養する事になった。
5/7~10の3泊4日で私はルクラ、他のメンバーもコフで咳き込む者ばかりなので、私
以外の全員もヘリでナムチェへ下った。
私の泊まったルクラのロッジには同じくコフで休養の為にBCから降りて来た栗城氏も泊まって
おり、部屋は隣だった。4日間も同宿すれば多少は話すようになり、共通の知人がいた事も
あって帰国したら一緒に食事をする事になり、彼から携帯番号とアドレスを書いたメモを渡された
のですが、21日にサウスコルからC2に下りたら彼の訃報を知らされました。
尚我々AG隊と栗城隊のBCは偶然隣でした。

カトマンズに下山して食べて飲んでの生活でしたが、ビールが主だったせいか体重は62kg
までしか回復せず、帰国しても同様です。筋力を戻さないと体重も戻らないと思っています。
7月上~中旬に知人に誘われて10日間位の易しい海外登山の計画がありましたが断りました。
8月はリベンジのマッターホルンへ行く予定なので、あと2ヶ月で体力・筋力を復活させたいと
考えています。

ルクラ⇒カトマンズ便は欠航が続き、我々はペリチェからヘリコプターを乗り継ぎ、昔のキャラバン
ルートであるパブルーに下りて、そこからカトマンズまで約290kmをジープで約10時間
掛けて走りました。
我々の装備等はBCからルクラに向けてポーターに預けましたが、29日のカトマンズからの
帰国時にはまだ荷物はまだルクラに留まっていました。
登山靴、シュラフやダウンは半乾き状態でのパッキングだったし、45日分の衣類(洗濯物)
もあり、BCから荷出ししてから2~3週間経過するとカビ!悪臭!かなぁ~と荷待ち状態
です。


宗像


アイスフォール

アイスフォール (1)

アイスフォール・ラダー

エベレストBC集合写真

サウスコル・エベレスト南峰

サウスコル・チベット遠景

ジュネヴァスパ④

ローツェフェース

ローツェフェース②

ロブチェ・下降

栗城隊BC












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コジオスコ(2228m)ブルーマウンテンズ

オーストラリアから昨日帰国しました。
現地滞在は5日間で晴れたのは最終日だけで他の日は雨模様でした。
夏だと思って半袖を持って行きましたが、フリースが手離せず、やや風邪気味になりました。
コジオスコ(2228m)は視界10~20m、風速15m位の強風で、団体パシュートのように
前の人を風避けにして歩きました。
念の為に持って行った冬山用のウールの下着上下を着て登りましたが丁度良かったです。


2/24:スレドボ・リフト終点9:20~11:40コジオスコ11:50~12:50リフト終点

2/25:ブルーマウンテンズの雨中ハイキング (約4時間)

宗像

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アコンカグア(6959m)

2017~2018

年末の21日に出発して昨11日に帰国しました。
フライトはドバイとブエノスアイレスで乗り継ぎ、乗り継ぎの待ち時間を含めて片道
約40時間も掛かり、地球の裏側は遠かったです。時差は丁度12時間です。

参加者は14名、AGのガイド2名、現地ガイド4名の総勢20名での登山です。
1月3日にアコンカグア(6959m)登頂しました。
5959mの最終キャンプから標高差1000mを往復13時間25分でした。
C2(5150m)で3名が高度障害でヘリで下山。1人は軽度の肺水腫でした。
3日は残り11名でアタックに出発しましたが、次々に落伍者が出て登頂者は私ともう
一人の2名、AGガイド1名、現地ガイド2名の5名でした。
ただ歩くだけの危険度ゼロのルートですが、6千mを超えての千mは長く厳しかったです。
私も頂上直下までは順調でしたが、残り20m位から風も強まり息もあがり20~
30分掛かってしまいました。
写真①は頂上の私です。坐っているのが私。良くやったと肩を叩いてるのが現地ガイド。
その高峰にばてて遅れたAGガイドです。私の向かって右に頂上の十字架が見えます。
頂上滞在は20分でしたが、その半分の10分は写真のままの姿勢で下山の為に
呼吸を整えていました。
C3・6:45~15:20頂上15:40~20:10・C3
登り8時間35分、下り4時間30分でした。
夜は短かく5時頃から21時過ぎまでは明るくヘッドランプは不要でした。
年末に降雪があったので6100mからはアイゼンを着けました。ピッケルは不要で
ストックだけで登りました。

写真は①頂上②登山口からのアコンカグア(ルートは南半球なので裏側の雪の少ない
北ルート)③ベースキャンプ④キャンプ2⑤中央の黒い岩の左奥が頂上
⑥色黒のシェルパ?

宗像


アコンカグア頂上

登山口からのアコンカグア南壁

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C2から頂上

国籍不明のオッサン









アマダブラム(6856m)

AGの公募登山隊に参加して、アマダブラム(6856m)に登頂して帰国しました。


隊長はAGの近藤さん、隊員は直前に1名(柏さん)減って4名の総勢5名となり、
シェルパは6名でした。私以外の3名の隊員は女性で、30代、40代、70代です。


2017年

渡航期間:10/16~11/11 (27日間)
登山期間:10/17~11/8 (23日間)
BC期間:10/24~11/6 (14日間)
登頂
10/31:BC⇒C1 6~8時間30分
11/1:C1⇒C2(6100m) 6~8時間
11/2:C2⇒C3(6400m) 6~8時間
11/3:C3⇒頂上⇒C3⇒C2 頂上までは6時間30分
11/4:C2⇒C1⇒BC
BC(4600m)から頂上までの標高差は2256m。
C1(5800m)から頂上までは全てフィックスロープが張られユマルーで登り、下りは
懸垂下降になります。C1の直下も傾斜の緩いスラブ帯でユマーリングが必要でした。


C2はイエロータワーと言われる岩場の上で、直下は急な岩場で男はシングルユマールで
強引に乗っ越せますが、女性には厳しくダブルユマールにアブミを使用して登りました。

C2へもC3へも標高差はたった300mなのに、ロープは1本なので下って来る登山者が
いると待たされるので時間が掛かった。30代と70代の女性2名はBC以上は不調で、

常に遅れて消耗が激しいようだった。私は腰の痛み以外は順調で2番手か3番手を登った。
但し、6000mを超えての登攀は直ぐ息が切れて、2回ほど胸が苦しくなり、倒れ込むように
休んだ事があった。直ぐには深呼吸も出来ないくらい息苦しかった。
頂上アタックは0時起床、1時50分出発、ヘッドランプを点けて急な雪面をひたすら登った。
岩場はなく楽そうだが、アイゼンが刺さりにくい氷化した急峻なガリ―や、足場が崩れる軟雪帯
があったりで、足には厳しい登りだった。私は腰の痛みに加え低温の為だと思われるが悪かった
頸椎の影響か左首と左肩がかなり痛み出したが、苦痛ではないので何とか登った。
登行中に足指の感覚が無くなった。
明るくなり無風快晴の8時20分に頂上についた。エベレストやローツェなど360度の展望だ。
下りは頂上から延々と懸垂下降、登って来る登山者と入れ替わりながらC3に下った。

C3にはアタック早々に引き返した70代の女性がおり、手の指が凍傷になったのでヘリを呼んで
カトマンズに戻る事になったとの事。私も足指の感覚が無いのでヘリに同乗してBCで降ろして貰う
事にした。ところがヘリは狭いC3にはランディング出来ず、ピックアップされる事になり、最初に私が
ピックアップされてBCに下り、私を降ろしてヘリは直ぐC3に戻りもう一人をピックアップしてBC
に戻って来た。ヘリはピックアップ用具を収納してから女性を搭乗させてカトマンズに飛び立った。
私の足指は両小指以外の8本が軽度の凍傷になりました。変色はしていないが10日間経過
しても痺れたままで感覚は戻らないので、明日14日に専門医の診察を受ける事にしました。

写真は①タンボチェからのアマダブラム②ベースキャンプ③C1④頂上⑤C3上の雪面

⑥ピックアップされたイタリアパーティー⑦カトマンズの夜(近藤・ウプレティ・宗像)


宗像

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スイス・アルプス

海外登山
2019/4/22~5/1
スイス・アルプス
宗像(ツアー)


10日間のアルプスのスキーツアーから帰国しました。
AGのツアーで、近藤ガイドに3人の髭男。現地でグリンデルワルト在住の女性が加わり
5人でのスキー行となりました。その女性は偶然にもMG卒でした。
日本の山間部も雪が降ったようですが、アルプスも雪・強風・視界不良で、当初の計画は
実行不能で高度順応の為の4千m峰への登頂も出来ませんでした。

4/22:羽田出発⇒フランクフルト⇒チューリッヒ⇒グリンデルワルト
4/23:雪・強風:グリンデルワルト⇒ユングフラウヨッホ~メンヒスヨッホ小屋
4/24:雪・強風:停滞
4/25:雪・強風:メンヒスヨッホ小屋~アレッチ氷河~レッチェンルッケのコル~ルッケ谷登山口⇒ツェルマット
4/26:雪:ツエルマット滞在 (私は休養、他メンバーは氷河スキー)
4/27:曇・強風:ツエルマット滞在 (ヘリスキーは中止)
4/28:小雪・強風:ツエルマット~夕方までスキー⇒グリンデルワルト
4/29:グリンデルワルト滞在~ベルン旧市街観光
4/30:グリンデルワルト⇒チューリッヒ⇒直行便⇒
5/1 :成田空港に帰国

23日のヨッホ小屋の宿泊者は我々だけ5人でした。
悪天候の予報なのでアレッチ氷河周辺での登山とスキーは早々に諦めて、ツエルマットでの
氷河スキーに変更しましたが、ここも雪でモンテローザへのヘリスキーはヘリが飛ばず中止になり
ました。強風でゴンドラやリフトの運休が相次ぎ運航再開待ちが多かったです。

24日は強風が吹き荒れて停滞。
25日も朝から吹雪いて視界不良なので停滞かと思いましたが、他のフランス人の6人
パーティーと一緒に行動する事になり、視界が開けたアレッチ氷河に下るまでは、離れない
ようにゆっくり滑りました。お互いのガイドは立ち止まる度に確認をしながらの行動でした。
私の技術では圧雪されたゲレンデでは通用しても、新雪・新雪や横滑りが難しい腐った雪
のバックカントリースキーではターンが厳しく、長大な氷河の下りは足がパンパンになって更に
スキーコントロールがしずらくて苦労しました。私は途中からガイドと二人で別行動となり遅れて
滑り、他の4人は先に滑って霧の中に消えて行きました。
メンヒスヨッホ小屋からアレッチ~コル~登山口まで6時間30分でした。フリース+ダウン+
ジャケットを着て滑りましたが、暑くはなく丁度良かったのでかなり寒かったのだと思います。

28日はゴンドラ待ちをしてからクライン・マッターホルンに上がり、イタリア側のチェルビニアまで
一気に滑り下りましたが快適でした。戻りのゴンドラは最終便にギリギリ間に合いました。

滞在中に晴れる事はほとんどなく、グリンデルワルトは着いた日の夕方と帰る日の朝だけ、
ツエルマットでは午後に青空が少し見える程度でした。曇または雪に強風で街にいてもかなり
寒かったです。26日はツエルマット市街地でも積雪15cm位で除雪車が出ていました。
今年のアルプスは春の訪れが例年よりも大きく遅れているそうです。

写真
①アレッチ氷河への下り②コンコルディアプラトー③レッチェンルッケのコルへの登り(緩やか
だけど長ーい)④視界不良の中の登り⑤雪のツエルマット市街⑥ホテルからのアイガー

アレッチ氷河の下り

コンコルディアプラトー

レッチェンルッケのコルへの登り

視界不良

雪のツエルマット

アイガー



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